2011年2月、サナアの大学街に火がついた。
アリ・アブドゥッラー・サーレハ大統領の33年支配に対する怒りが、「パンと自由と尊厳」という叫びとなって街頭を埋め尽くした。
チュニジアとエジプトの「成功」に鼓舞された若者たちはソーシャルメディアで団結し、わずか数ヶ月でサーレハを権力の座から引きずり下ろした。2012年2月、暫定大統領が選出される。世界はまた一つ「アラブの春」の勝利に拍手を送った。
だがイエメンに、春は来なかった。代わりに訪れたのは、飢餓と、コレラと、空爆の地獄だった。
そして今、その地獄を生き延びた勢力が、シティ・オブ・ロンドンが最も恐れる場所に立っている。
民主化という名の地政学ゲーム
イエメンはカラー革命の論理が、今も現在進行形で続いている数少ない事例の一つである。
サーレハ政権が腐敗し、抑圧的だったことは否定しない。
しかし西側にとっての「本当の問題」は、アラビア半島の戦略的位置と、紅海・バブ・エル・マンデブ海峡の支配権だった。バブ・エル・マンデブ海峡はアフリカとアラビア半島の間に位置し、アデン湾から紅海を経てスエズ運河へとつながる。世界の原油生産量の約10パーセント、コンテナ貨物量の25パーセントが通過する、文字通りの咽喉だ。
シティ・オブ・ロンドンを頂点とするグローバル金融・エネルギー資本にとって、ここを誰が支配するかは死活問題である。
米国は「アルカイダ対策」と「民主化支援」を看板に掲げ、オバマが主導し米国民主主義基金(NED)や関連団体が反体制派への資金と訓練を粛々と提供した。
オバマは2009年のカイロ演説で「イスラム世界との新しき始まり」を宣言し、2011年5月の中東・北アフリカ政策演説ではアラブの春を「歴史的機会」と位置づけ、「普通の人々の正当な願いを満たす改革を支持する」と述べた。しかしその実態は「背後から主導する」という多国間主義・低コスト関与のアプローチだった。
イエメンではサーレハ大統領に直接退陣を促し政治移行プロセスを支援したが、アルカイダ対策を名目にドローン攻撃を継続し、サウジ主導の介入を間接的に容認した。
NEDの役割は、本シリーズで検証したチュニジアから一貫している。
革命の「火種」が生まれる前に現地ネットワークを組織し、革命の「火種」が生まれる前に現地ネットワークを組織し、怒りが爆発した瞬間に動員が機能するよう準備しておく。点火したら撤収する。燃え広がった後の責任は負わない。イエメンでもその使い捨ての設計が忠実に機能した。
オバマ政権はサウジアラビア主導の連合軍 、米国・英国・UAEが後方支援 ― が2015年から本格介入を開始するのを容認した。目的は明快だ。イラン支援のフーシ派を排除し、紅海の海上交通路を確保すること。サウジはスンニ派対ザイディ・シーア派の宗派対立を巧みに煽り、グローバル軍需産業は武器販売でまた一つ巨額の利益を積み上げた。
米国はドローン攻撃と諜報支援を継続し、エネルギー企業はアデン港と石油パイプラインの支配を虎視眈々と狙い続けた。オバマの「民主化支援」は英米の国家利益を優先した実利的対応に過ぎず、革命後の安定化計画はほぼ欠如していた。民主化はあくまで「表向きの口実」に過ぎない。本質は、アラビア半島の地政学的再編と、シティ・オブ・ロンドンによるエネルギー支配の延命工作である。結果としてイエメンは国家崩壊状態に陥り、テロの温床と移民ルートの起点と化した。
結果としてイエメンは国家崩壊状態に陥り、テロの温床と移民ルートの起点と化した。
だがこれすら、金融帝国にとっては欧州を不安定化させる便利なカードの一枚だった、と見る者もいる。私もだ。
数字が語る「春」の正体
テロの温床と、欧州への移民ルートの起点と化した。 イエメンからの難民と移民の波は地中海を渡り、欧州の政治を揺さぶる。これすら、金融帝国にとっては欧州を不安定化させる便利なカードの一枚だった、と見る者もいる。私もだ。
被害を受けたイエメン国民にとって、この革命は生き地獄への入口だった。
2014年、フーシ派がサナアを制圧し内戦が本格化する。翌2015年3月、サウジ連合軍の空爆が始まった。標的は軍事施設だけではなかった。学校、病院、市場、結婚式の会場まで。国連推計による死者数は37万7千人以上 ― その大半は銃弾による死ではなく、飢餓と医療崩壊による「間接死」である。
数字をもう少し並べてみよう。
5歳未満児の約半数が慢性的な栄養不良
コレラ累計感染者280万人以上、死者4千人超
国内避難民450万人超、人口の3分の1近く
人口の80%近くが人道支援に依存(2023年時点)
2017年から大流行したコレラの主因は、空爆によって徹底的に破壊された水道・衛生インフラだ。食糧輸入を95%依存するこの国で、港湾封鎖と空爆が食料の流入を断った。「民主化支援」の代償としては、少々重すぎる請求書である。
子供たちが払う最高値の代償
最も残酷なのは、子供たちへの影響だ。
UNICEFはイエメンを「世界で最も危険な場所で子供として生まれる国」と形容する。急性栄養失調に苦しむ子供は270万人を超え、子供兵として徴用されるケースが横行し、女児は早婚と性的搾取の被害に晒される。病院は空爆で破壊され、医師は不足し、麻酔なしの手術が「日常」となった。2023年の国連報告では、1日平均50人の子供が飢餓または予防可能な疾病で死亡しているとされる。
家族は生きるために家畜を売り、木の葉を煮て食べる。サナアやホデイダの住民は、空爆警報のたびに地下へ逃げ込み、爆音と瓦礫の中で眠る生活を続けている。サウジ連合軍に「テロ支援」と名指しされたフーシ派支配地域の住民が、最も深刻な人道危機を抱えている ― その皮肉を、誰も大きく報じない。
「もし」という問いを立ててみる
もし外国からの武器と空爆がなければ、イエメンの内戦はここまで長引いただろうか。
サーレハ政権は確かに独裁的だった。しかし国民生活は、比較的安定していた。外国の介入が宗派対立を煽り、国家を解体した。米国製の精密誘導爆弾が学校と結婚式を吹き飛ばした記録は多数残っている。
国連は「人道的支援」を語りながら、制裁と支援制限で復興を阻み続けた。
イエメン人はこう言う。「アラブの春は、飢餓の冬になった」と。
希望を求めて立ち上がった若者たちは今、国外脱出を試みるか、海を渡る途中で溺れるか、それとも奴隷化されるかの選択肢を前にしている。これが「民主化の成果」と言えるなら、その定義を根本から問い直す必要がある。
誰が血を流すのか
サーレハ退陣から13年以上が経過した今も、イエメンは分裂し、国民は世代を超えて飢えと病気に苦しんでいる。
カラー革命が「民主化」という美名のもとに生み出す人道的破壊。そのゲームで最高値の血を流すのは、戦略マップのどこかに描かれた小さな点の上で生きる、名もなき人々だ。
オバマ自身はリビア介入を「大統領職での最大の失敗」と認めているが、イエメンでも同じパターンだ。
カイロ演説で火をつけ、各国で退陣要求や支援を行いながら、失敗時の責任は「地域の複雑さ」に転嫁した。中東の多くの市民は当初オバマの「民主支援」に期待を抱いたが、結果として「テロ対策優先で民間人を犠牲にし、民主化を口実に地域を不安定化させた」と失望・怒りを抱いている。
しかしその地図の上で、フーシ派だけが今も、シティ・オブ・ロンドンが支配する海路に向けて、イラン革命防衛隊と連携して、砲口を向け続けている。
次回は「ウクライナ・ユーロマイダン革命」を扱う。親欧米政権の樹立から国家分裂と戦争への道筋を、同じ視点で解剖する。メディアが「春」と呼ぶ季節の裏側にあるものを、皆さんには忘れないでいてほしい。
参考文献
Council on Foreign Relations (2023/05/01) Yemen’s Tragedy: War, Stalemate, and Suffering
イエメン内戦の経緯、サウジ連合軍介入、フーシ派台頭、死者37万人超(主に飢餓・病気)、栄養失調率世界最悪、コレラ流行、国内避難民450万人、経済崩壊・人道危機の現状を包括的に分析。

Human Rights Watch (2024/01/11) World Report 2024: Yemen
2023年のイエメン人権状況を報告。空爆による民間人被害、子供兵・飢餓・医療崩壊、コレラ感染者数、封鎖による食糧危機、外国勢力(サウジ・UAE・米国)の関与と責任を詳述。
UNICEF (2024/03/26) 9 years into the conflict in Yemen, millions of children are malnourished and stunted
イエメン紛争9年目の子供被害を重点的に分析。急性栄養失調児270万人超、5歳未満児の49%が慢性栄養失調(stunting)、医療・教育崩壊、子供兵・早婚・性的暴力のリスク、飢餓による長期的な身体・認知発達障害の深刻さをデータと声明で示す。

The White House (2011/05/19) Remarks by the President on the Middle East and North Africa
アラブの春に対するオバマ公式政策演説全文。アラブの春を歴史的機会とし、民主移行支援を表明するとともに「背後から主導する」アプローチを明確化した核心文書。本文ではオバマの革命政策の基本方針を説明する際に直接参照。
The Guardian (2016/04/12) Barack Obama says Libya was ‘worst mistake’ of his presidency
オバマ本人がリビア介入を「大統領職での最大の失敗」と認め、介入後の計画不足を自白したインタビュー記事。本文ではオバマ政権の革命支援がもたらした責任放棄のパターンを、イエメンにも当てはめて批判的に検証する根拠。

Pew Research Center (2011/05/17) Arab Spring Fails to Improve U.S. Image
アラブの春後の論調査報告。エジプトなどでの米国役割に対する肯定的評価が低く(22%程度)、オバマ政策への失望と二重基準が現地で広く認識されていた実態をデータで示す。本文では中東市民視点からのオバマ政策再検証の根拠資料。
https://www.pewresearch.org/global/2011/05/17/arab-spring-fails-to-improve-us-image/





