二重政府 3: ユニパーティ

1993年1月20日、ビル・クリントンが大統領に就任した。 

共和党政権の12年が終わり、民主党が戻ってきた。冷戦は終わった。湾岸戦争も終わった。「平和の配当」が語られた。

さて、その後の8年間で何が起きたか。

イラクへの爆撃は続いた。NATOは東へ拡大した。ユーゴスラビアは空爆された。ウォール街の規制は剥がされた。政権を去った者たちは金融機関の重役室に収まった。

ホワイトハウスの主が変わったが、戦争も、金融も、変わらなかった。

前回はオバマとブッシュの間に横たわる政策の連続性を見た。今回はさらに時計を巻き戻す。その連続性には、もっと古い根がある。

冷戦が終わった朝

1989年11月、ベルリンの壁が崩れた。 1991年12月、ソビエト連邦が解体した。 半世紀続いた対立構造が、わずか2年で消えた。

米国内では「平和の配当」という言葉が飛び交った。軍事費を削減し、その財源を国内の医療・教育・インフラに回す。敵がいなくなった以上、巨大な戦争機械を維持する理由はない。経済学者も、一部の政治家も、そう主張した。

ところが現実は逆の方向へ動いた。

ソ連崩壊の5ヶ月前、1991年1月に湾岸戦争が始まった。冷戦の終わりを待たずに、次の戦争はすでに準備されていた。

この戦争を主導したのが、ジョージ・H・W・ブッシュ、父ブッシュだ。

この人物の経歴を確認しておく必要がある。テキサスの石油実業家という顔は表向きだ。CIAテキサス支局との関係は1960年代にさかのぼる。1976年にはフォード政権下でCIA長官に就任した。カーター政権を挟んで副大統領8年、そして大統領へ。国家安全保障の官僚機構の中を、四半世紀にわたって泳ぎ続けた人物だ。

湾岸戦争の布陣を見れば、その人脈が透けて見える。国防長官ディック・チェイニー。統合参謀本部議長コリン・パウエル。国家安全保障顧問ブレント・スコウクロフト。いずれもグレノンの言う「トルーマン的ネットワーク」の中枢に位置する人材だった。

戦争は100日で終わった。しかしイラクへの経済制裁は継続された。後の推計によれば、制裁期間中のイラク民間人の超過死亡者数は数十万人に上る。フセインは残り、制裁だけが残った。

そして戦争が終わった後、金が動いた。

国防長官チェイニーは1995年、軍需・エネルギーサービス大手ハリバートン社のCEOに転じた。同社はイラクを含む中東での石油インフラ事業と軍の兵站支援で巨大な収益を上げていた。チェイニーが国防長官として主導した湾岸戦争の戦後処理は、そのままハリバートンのビジネス環境を整えた。後に副大統領として第二次イラク戦争を推進した際、ハリバートンは復興利権の中核を担った。戦争を決める者と、戦争で稼ぐ者が、同一人物だった。

父ブッシュも例外ではない。退任後、カーライル・グループの顧問に就いた。防衛・航空宇宙産業に特化した投資ファンドで、湾岸戦争後の軍需市場の拡大から直接利益を得る構造だった。サウジアラビアのビン・ラディン・グループもカーライルに出資していた。9/11の翌朝、カーライルの会議室にいたのは父ブッシュだったという記録が残っている。

戦争は終わった。利権は終わらなかった。

1992年の大統領選で、父ブッシュは敗れた。

経済の停滞が主因だった。選挙参謀ジェームズ・カーヴィルの言葉が残っている。「問題は経済だ、バカ野郎」。有権者は戦争より生活を選んだ。

クリントンが勝った。

アーカンソー州知事、saxophone を吹く気さくな南部出身の民主党候補。変化の象徴として、完璧なキャスティングだった。

戦争屋は残った

1993年1月、クリントンが大統領に就任した。

国家安全保障顧問に就いたのはアンソニー・レイクだった。国務長官はウォーレン・クリストファー。CIA長官はジェームズ・ウールジー。いずれも外交・安全保障の専門家集団から補充された顔ぶれだった。党派は変わった。人材プールは変わらなかった。

最初の試練はすぐ来た。

ソマリア、ハイチ、ルワンダ、ボスニア。冷戦後の「無秩序」が噴出した。クリントン政権はそのたびに軍事力を行使した。人道的介入という新しい言葉を使いながら、軍の出番は増えた。

1995年、ボスニア空爆。1999年、コソボ空爆。ユーゴスラビアは78日間にわたって爆撃された。宣戦布告はなかった。国連安保理の承認もなかった。NATOという組織が、冷戦後も存在意義を示し続けるための戦争だった。

NATOの東方拡大は着々と進んだ。

1994年、クリントンはNATO拡大を正式に推進する方針を打ち出した。1999年、ポーランド・チェコ・ハンガリーが加盟した。ソ連崩壊時に西側が示した「東方不拡大」の約束は、解釈の問題として処理された。

ここで一つの事実を記録しておく必要がある。

2000年6月、モスクワ。クリントンとプーチンの首脳会談だ。当時のプーチンは就任直後、最も親西洋的だった時期にある。その席でプーチンはNATOへの統合に強い関心を示した。ロシアがNATOに加盟する可能性についての議論が交わされた。プーチンは「米国からそのような発言を聞いたのは初めてだ」と述べ、歓迎の意を示した。

クリントンは「本気でロシアのNATO加盟を議論する準備がある」と応じた。

翌日、その言葉は引っ込められた。

この経緯は2025年8月、米国家安全保障アーカイブが情報公開訴訟によって入手した当時の会談記録で明らかになった。当時の国務副長官ストローブ・タルボットの手書きメモが一次資料だ。

NATOの論理は、ロシアを統合することではなく、ロシアを外側に置き続けることだった。プーチンの問いかけへの翌日の撤回が、その本質を示している。拡大は続いた。統合の扉は開かれなかった。

そしてもう一つ、クリントン政権が父ブッシュから引き継いだものがある。

イラクだ。

湾岸戦争後の経済制裁はクリントン政権下でも継続された。1996年、国連の制裁が子どもたちに与えた影響について問われた国務長官マデリン・オルブライトは、こう答えた。「難しい選択だと思う。しかしその代償は払う価値がある」。

制裁期間中のイラク民間人の超過死亡について、当時の国連報告は深刻な懸念を示していた。党が変わっても、イラク政策は変わらなかった。

爆撃する対象も変わらなかった。クリントン政権は1998年、イラクへの大規模空爆「砂漠の狐作戦」を実施した。大量破壊兵器の疑惑を理由とした、宣戦布告なき攻撃だった。5年後にブッシュの息子が行ったことの、予行演習だった。

戦争の様式は党を超えて継承された。

金融屋の乗り換え

1992年の大統領選、ウォール街はクリントンに賭けた。

共和党政権12年の後、民主党候補への支持は一見すると意外に映る。

しかし金融業界の論理は党派とは無関係だ。規制緩和を進め、金融市場を拡大し、自分たちに有利なルールを作る政権を支持する。それだけだ。

クリントン政権の財務長官人事が、その答えを示している。

初代財務長官ロイド・ベンツェンはテキサスの保守派民主党議員で、金融業界との関係が深かった。後任に就いたのがロバート・ルービンだ。ゴールドマン・サックスの共同会長から財務長官へ。ウォール街と政府の間の扉が、これほど露骨に開いたことはそれまでなかった。

ルービンが財務長官在任中に成し遂げたことは何か。

1999年、グラス・スティーガル法が廃止された。

1933年に制定されたこの法律は、商業銀行と投資銀行の業務を分離するものだった。大恐慌の教訓から生まれた、金融システムの安全装置だ。その廃止を推進したのがルービンだった。代わりに成立したグラム・リーチ・ブライリー法により、銀行・証券・保険の垣根は撤廃された。

法案署名の直後、ルービンは財務長官を辞任した。

そして翌年、シティグループの幹部に就任した。

グラス・スティーガル廃止によって最も恩恵を受けた金融機関のひとつがシティグループだった。ルービンはその規制緩和を政府側で主導し、民間側でその果実を受け取った。在任中の政策決定と退任後の就職先が、これほど直線で結ばれた例も珍しい。

回転ドアとはこういうものだ。

ルービンだけではない。財務副長官ローレンス・サマーズはルービンの後継として財務長官に就任し、デリバティブ規制に反対し続けた。商品先物取引近代化法の成立を後押しし、金融工学の暴走に法的な免罪符を与えた。サマーズもまた退任後、ウォール街との関係を深めた。

1990年代の金融規制緩和が何をもたらしたか。

2008年のリーマン・ショックだ。

商業銀行が投資銀行業務に参入し、住宅ローンを証券化し、リスクを世界中にばらまく構造を可能にしたのは、クリントン政権期の規制緩和だった。ルービンとサマーズが設計した金融システムの論理的帰結が、10年後に世界経済を直撃した。

しかし彼らは責任を取らなかった。

サマーズはオバマ政権で国家経済会議委員長に就任した。2008年の危機を招いた人物が、その後始末を担う政権の中枢に座った。これもまた、グレノンの言う構造的継続性の一形態だ。

党が変わっても、金融政策の設計者は変わらなかった。ウォール街はクリントンに賭け、的中した。

第4章:人脈という名の実体

外交問題評議会(CFR)という組織がある。

1921年設立、ニューヨーク本部。会員数は約5,000人。政府高官、軍の幹部、金融機関の重役、学者、メディア人が一堂に会する。共和党政権でも民主党政権でも、外交・安全保障の主要ポストはここの人材プールから補充されてきた。

父ブッシュ政権の国家安全保障顧問ブレント・スコウクロフトはCFRのメンバーだ。

国務長官ジェームズ・ベイカーも同様だ。クリントン政権に移ると、国務長官ウォーレン・クリストファー、国家安全保障顧問アンソニー・レイク、国連大使マデリン・オルブライト、財務長官ロバート・ルービン。党派が変わっても、CFRという人材プールは変わらなかった。

これは偶然ではない。

CFRは単なる親睦団体ではない。機関誌「フォーリン・アフェアーズ」は外交政策の方向性を形成する媒体だ。CFRが発表する報告書は政策立案の参照点となり、CFRの会合で形成された合意が政府内の議論の土台となる。政府に入る前にCFRで人脈を築き、政府を出た後にCFRに戻る。その循環が、政権交代を超えた政策の連続性を担保する。

ブルッキングス研究所も同じ機能を果たす。

共和党政権期には野党系の人材を抱え、民主党政権期には政府に送り出す。政権交代のたびに「待機場所」として機能し、専門家集団の継続性を保つ。RAND研究所、カーネギー国際平和財団も同様の役割を担ってきた。

グレノンはこうした構造を「回転ドア」と呼ばず、より根本的な疑問を呈する。

なぜ大統領は就任直後からこの人材プールに依存するのか。

答えは単純だ。代替がないからだ。国家安全保障の専門知識は、選挙運動では培われない。情報機関との関係、同盟国との交渉経験、危機対応のプロトコル。それらはすべて、トルーマン的ネットワークの中に蓄積されている。大統領はその蓄積に依存することで、その論理の中に取り込まれていく。

人物の軌跡を一つ追ってみる。

ロバート・ゲイツ。

CIAアナリストとして1966年にキャリアを始め、国家安全保障会議スタッフ、CIA副長官を経て、父ブッシュ政権でCIA長官に就任した。クリントン政権期は民間に退いたが、その後テキサスA&M大学学長を経て、ブッシュ政権で国防長官に返り咲いた。そしてオバマに留任を求められた。共和党政権と民主党政権の双方で国防長官を務めた人物だ。

党派を超えて「信頼される」人材とは何か。

それはトルーマン的ネットワークの論理を内面化し、その継続性を体現する人材だ。改革を叫ぶ大統領が就任するたびに、こうした人材が「安定」の名のもとに呼び戻される。

CFRと政府の間の回転ドアは、金融業界と政府の間の回転ドアと同じ構造だ。

ここで歴史的事実を整理しておく。

CFRには前身がある。1919年のパリ講和会議で英米の外交官・学者が組織した共同研究グループだ。そこから英国側が1920年に設立したのがチャタムハウス、正式名称「王立国際問題研究所」。翌1921年に米国側が設立したのがCFRだ。姉妹組織というより、同一の母体から分岐した双子だ。

チャタムハウスはロンドン、シティに近いセント・ジェームズ・スクエアに本部を置く。英国王室の後援を受け、英国外交政策の知的基盤を提供し続けてきた組織だ。CFRとチャタムハウスは定期的に人材と議題を交換し、大西洋を跨いだ政策合意を形成してきた。

種明かし

ここまで論考してきたことを整理する。

父ブッシュからクリントンへ。共和党から民主党へ。有権者は変化を求めた。しかし戦争は継続された。金融規制は剥がされた。人材プールは入れ替わらなかった。

これは失望でも裏切りでもない。構造の必然だ。

グレノンの言葉を借りれば、マディソン的制度、つまり大統領・議会・裁判所という公式の政府は、国家安全保障という領域においてすでに空洞化している。実質的な決定はトルーマン的ネットワーク、CIA・NSA・国防総省・国務省の常勤専門家集団が下す。選挙で選ばれた大統領は、その論理の中に置かれ、その継続性を引き受ける。

党派は関係ない。

父ブッシュはCIAの生え抜きだった。クリントンはCFRの人材プールからチームを編成した。チャタムハウスと繋がるその網の目は、大西洋を跨いで政策の枠組みを設定し続けた。戦争屋は政権交代のたびに顔を変えながら、同じ論理で動いた。金融屋は規制緩和という共通言語で、どちらの政権とも取引した。

ユニパーティとはイデオロギーの話ではない。

人脈と利権の話だ。

選挙は行われる。票は集計される。政権は交代する。しかしその下で動く層は変わらない。CFRで人脈を築き、政府に入り、シンクタンクで待機し、また政府に戻る。その循環の中で、政策の枠は特定の範囲に収まり続ける。

第2回で見たオバマの「チェンジ」は、この構造の繰り返しだった。

1993年のクリントンが経験したことを、2009年のオバマも経験した。就任直後から専門家集団の論理に包まれ、反論する情報も経験も持ちようがない新任の大統領が、継続を選ぶ。選ぶというより、継続が選ばれる。

グレノンはこれを個人への批判として提示しない。

構造がそう要求する、と言う。

ではその構造は誰が設計したのか。誰が維持しているのか。CFRの背後にチャタムハウスがある。チャタムハウスの背後にシティ・オブ・ロンドンがある。次回はその回路を見る。

参考文献

Michael J. Glennon著 National Security and Double Government (2014/10/08) 

タフツ大学教授グレノンによる学術的核心著作。マディソン的制度とトルーマン的ネットワークの分離を理論化し、政権交代を超えた国家安全保障政策の連続性が構造的インセンティブによって生まれることを分析する。

https://global.oup.com/academic/product/national-security-and-double-government-9780190206444

National Security Archive (2025/08/21) Putin’s Summit Strategy 

2000年6月のプーチン・クリントン首脳会談に関する機密解除文書。ストローブ・タルボット副国務長官の手書きメモを含む一次資料。プーチンがNATO加盟への強い関心を示し、クリントンが前向きな発言をした翌日に撤回した経緯を記録する。 

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Wikipedia / Halliburton (2026/05/03) 

チェイニーが1995年から2000年までハリバートンのCEOを務めた事実、湾岸戦争後に国防長官として同社の軍事支援契約拡大を主導した経緯、および第二次イラク戦争での無競争入札契約を記録する。

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Wikipedia / The Carlyle Group (2026/05/03) 

父ブッシュがカーライル・グループの顧問として関与した事実、ビン・ラディン家の同ファンドへの出資、9/11当日にワシントンのリッツカールトンで年次会議が開催されていた事実を記録する。

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Wikipedia / Project for the New American Century (2026/05/03) 

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チャタムハウス所長とCFR会長が同席した公開対談の記録。両組織の長が「チャタムハウスとCFRはパリ講和会議から生まれた」と明言している。設立母体の同一性を当事者自身が認めた一次資料。

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