孤立するのはプーチンだけ、という構図
人間は、理解できない敵を恐れる。
そして、自分が多数派の側にいると感じるとき、安心する。
この二つの心理的傾向を、プロパガンダは精巧に利用する。今回取り上げる「悪魔化」と「バンドワゴン」は、感情に直接働きかける手法だ。
スタッキング
Based on:Hyzen & Van den Bulck (2024) / Herman & Chomsky (1988) / McCombs & Shaw (1972) / Entman (1993) / IPA (1937)
事実の選択や枠組みの設定という間接的な操作ではなく、敵への恐怖と群れへの同調という、より根源的な回路を刺激する。
「悪魔化」:狂人を作る工程
悪魔化とは、敵を「人間以下」あるいは「理性を欠いた存在」として描く手法だ。
敵の行動を政治的・地政学的文脈で理解させるのではなく、個人の精神的異常に帰着させる。そうすることで、交渉や理解の余地は消え、対立は「正常対異常」という構図に単純化される。
ウクライナ侵攻報道における典型が、「プーチン精神不安定論」だ。
この手法の精巧さは、政府が直接言わなかった点にある。「専門家」「元高官」「同盟国首脳」という権威ある声として、メディアが「独自取材」の形で提供した。
2022年3月1日、CNNは元国家情報長官クラッパーの「正気を失った」という発言、元駐ロシア大使の「現実と乖離している」という表現を冒頭付近に大きく配置した。
2022年2月28日、Fox Newsは元国務長官ライスの「気まぐれで不安定」「妄想的な歴史認識」、チェコ大統領の「狂人」という語を並べた。
いずれも政府当局者ではなく、専門家・元高官・同盟国首脳による「独自の見解」として提供されている。政府の公式声明ではないから、政治的意図があるとは見えない。しかし結果として、同一のイメージが形成される。
両記事ともに末尾近くで「プーチンは狂っていない」という反論を掲載している。しかし見出し、冒頭、記事の重心は一貫して精神不安定論の側に置かれており、反論は構造的に周辺化されている。「多様な見解を掲載した」という体裁を保ちながら、読者に残る印象は「理性を失った危険な人物」という一点に収束する。
党派的立場が正反対の両メディアが、同一の描写原理でプーチン像を形成していた。
悪魔化の効果は二重だ。プーチンを「理解不能な狂人」として描くことで、侵攻の地政学的背景を問う視点は「狂人の論理を擁護する行為」として周辺化される。批判の封じ込めが、描写の中に埋め込まれている。
「バンドワゴン」:世界はひとつ、という演出
バンドワゴンとは、「みんなそう思っている」という同調圧力で個人の判断を無効化する手法だ。
多数派の流れを演出することで、異なる立場をとることのコストを引き上げる。孤立への恐怖が、判断を上書きする。
ウクライナ侵攻報道では「NATOの団結」「世界の団結」「ロシア市民も反戦」という表現が繰り返され、孤立するのはプーチンだけという構図が形成された。
2022年3月1日、Fox Newsの番組書き起こしを見てみよう。
ウクライナ人テニス選手への問い「世界はウクライナと共にあると思うか」に対し「市民レベルでは世界がウクライナと共にある」という回答が引き出される。続いてゼレンスキーのEU議会演説「私たちと共にあることを証明してほしい」が紹介され、NATO諸国、スウェーデン、フィンランド、スイスの結束が「信じられないほどの団結」として積み重ねられていく。複数の発言を通じて、孤立しているのはプーチンただ一人、という構図が静かに形成される。
同調の演出はニュース報道にとどまらなかった。
2022年3月20日、CNNはウクライナのパンクバンドがThe Clashのカバー曲「Kyiv Calling」をリリースしたことを大きく取り上げた。
英国の伝説的バンドが公認し、著名プロデューサーが参加し、動画は数千回再生された、という「世界的な共鳴」の枠で文化的同調圧力が演出された。歌詞の「中立から抜け出せ」というメッセージが前面に報じられた。
政治報道と文化報道が、同一の構図を異なる形式で反復していた。ニュースで「世界の団結」を示し、文化で「中立は許されない」と訴える。情報の経路が異なっても、到達する結論は一つだ。
バンドワゴンの効果は、反対意見を持つことのコストにある。「世界全体がウクライナと共にある」という演出の中で、異論を唱えることは「プーチンの側に立つこと」と同義になる。
沈黙が同調として機能し、同調が連帯として可視化される。こうして、実際の意見分布とは無関係に、「全員一致」の印象が形成される。
二つの手法が目指すもの
悪魔化とバンドワゴンは、異なる経路で同じ目的地に向かう。
悪魔化は「敵を理解しようとする必要はない」という結論へ。バンドワゴンは「異論を唱えるコストは高すぎる」という結論へ。この二つが揃ったとき、批判的思考の余地は極めて狭くなる。敵は理解不能で、周囲は全員一致で、異論は孤立を意味する。
残るのは同意だけだ。
次回は最終回、「偽の二項対立」と連載の総括を行う。
「民主主義か専制主義か」という二択構造が、いかにして複雑な現実を単純化し、第三の道を消したか。そして、この連載を通じて浮かび上がった問いを、みなさんとともに考えたい。
参考文献
Herman, E.S. & Chomsky, N. (1988) Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media
強制や検閲なしにマスメディアが権力者の利益に沿った報道を生み出す構造を解明した古典的著作。広告依存・メディア所有の集中・政府情報源への依存という三つの構造的要因が、いかにして「同意の製造」を可能にするかを体系的に論じる。本連載の理論的基盤。
Hyzen, A. & Van den Bulck, H. (2024) “Putin’s War of Choice”: U.S. Propaganda and the Russia–Ukraine Invasion, Journalism and Media, MDPI, Vol.5(1)
アジェンダ設定・フレーミング・悪魔化・前提の支配を中心に、ウクライナ侵攻報道における米国プロパガンダの作動を実証した学術論文。本連載の分析枠組みの主要出典。
https://www.mdpi.com/2673-5172/5/1/16
McCombs, M. E. & Shaw, D. L. (1972) “The Agenda-Setting Function of Mass Media,” Public Opinion Quarterly
アジェンダ設定理論の原論文。メディアが受け手に「何を考えるか」ではなく「何について考えるか」を決定する力を持つことを実証した。アジェンダ設定の理論的出典。
https://fbaum.unc.edu/teaching/articles/POQ-1972-McCOMBS-176-87.pdf
Entman, R. M. (1993) “Framing: Toward Clarification of a Fractured Paradigm,” Journal of Communication
フレーミング理論の定義的論文。フレームが「問題の定義・原因の特定・道徳的評価・解決策の提示」という四機能を通じて意味を構築するプロセスを解明した。フレーミングの理論的出典。
https://fbaum.unc.edu/teaching/articles/J-Communication-1993-Entman.pdf
Lee, A. M. & Lee, E. B. (1939) The Fine Art of Propaganda: A Study of Father Coughlin’s Speeches, Harcourt, Brace and Company
Institute for Propaganda Analysis(IPA、1937–1942)の7つのプロパガンダ手法を体系的に解説した著作。カード・スタッキング・悪魔化・バンドワゴンの理論的出典。
CNN (2022/03/01) US intelligence agencies taking a fresh look at Putin’s state of mind
元国家情報長官クラッパーらの発言を軸に、プーチンの精神状態をめぐる「専門家見解」を集めた記事。政府の公式声明ではなく専門家の「独自見解」という形式で悪魔化が機能する構造を示す。

Fox News (2022/02/28) Has Russian President Vladimir Putin lost his mind?
元国務長官ライスらの発言を並べ、プーチンの精神的不安定を示唆した記事。CNNと党派的立場が異なりながら同一の悪魔化手法が機能していることを示す比較事例。

Fox News (2022/03/01) Your World: Ukraine’s defiance against Russia
ウクライナ人テニス選手へのインタビューを含む番組書き起こし。「世界はウクライナと共にある」という同調圧力の演出過程を示すバンドワゴンの事例。

CNN (2022/03/20) Ukrainian band covers The Clash for Kyiv Calling
ウクライナのパンクバンドによるカバー曲リリースを報じた記事。「中立から抜け出せ」という歌詞を前面に出し、文化報道を通じた同調圧力の演出を示すバンドワゴンの事例。




