「自由貿易」という言葉ほど、美しく聞こえて残酷な概念はない。
そして、その言葉を最初に世界に押しつけたのが、自らは保護主義によって富を築いた国だったとのであれば、その欺瞞は、もはや皮肉を超えて、世界的犯罪と呼ぶべきではないだろうか。
「世界の工場」が産まれるまで
ブリティッシュ・システムの土台は、アダム・スミス、デヴィッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミルら古典派経済学者たちの思想にある。自由貿易、政府不介入、比較優位の原則、これらは今日でも「経済学の常識」として教科書に載り、世界中の大学で講義されている。
しかし、その思想を最初に「実践」した国の振る舞いを見れば、話はまるで違う顔を見せてくる。
18世紀から19世紀初頭にかけて、英国は徹底した保護主義のもとで産業革命を達成した。繊維産業、鉄鋼、機械、国内産業を育てるあいだ、英国は高関税という分厚い壁で自国市場を守り続けた。他国の製品を締め出し、技術流出を禁じ、国家の力で競争相手を封じ込めた。
そして、自国の優位が確立したとき、はじめて英国は「自由貿易」を唱え始めた。
決定的な転換点は1846年の穀物法廃止である。保守党のロバート・ピール首相が関税を大幅に撤廃し、英国は自由貿易帝国へと舵を切った。
以後1932年頃まで自由貿易が国是となる。「世界の工場」として圧倒的な競争力を持つ英国にとって、関税はもはや必要なかった。むしろ、他国に市場を開放させる「道具」として、自由貿易の旗を振る方が好都合だったのだ。
梯子を蹴り落とす
経済学者ハー・ジュン・チャンは、この構造を「梯子を蹴り落とす」という言葉で鮮烈に表現した。
先に梯子を登りきった者が、後から登ろうとする者の足元から梯子を蹴り飛ばす、それが自由貿易=ブリティッシュ・システムの本質だった、というわけだ。
その最も凄惨な実例が、インドの脱工業化である。
18世紀初頭、インドは世界の綿織物輸出市場で圧倒的なシェアを誇っていた。ダッカで織られたムスリンは「流れる水」「夕暮れの靄」と称される繊細さを持ち、欧州市場を席巻していた。インドの職人たちは何世代にもわたって培った技術を持ち、その製品は世界中で珍重されていた。
英国の産業革命が進むと、機械織布がインド市場に大量に流れ込んだ。そのとき英国政府がとった政策は何だったか。インド製品には高関税を課し、英国製品のインドへの輸入はほぼ無税とした。これは「自由貿易」ではない。一方的な搾取の制度化である。
結果は壊滅的だった。インドの綿織物輸出は19世紀半ばまでにほぼ消滅した。1830年代、英国総督ウィリアム・ベンティンクは「インドの平原に綿織工の骨が白く散らばっている」と記している。世界製造業出力シェアで見れば、インドは1750年に24.5%を占めていたが、1880年には2.8%にまで急落した。ダッカのムスリンという技術は、ほぼ完全に失われた。
インドだけではない。西アフリカでは伝統的な布地製造と鉄工が英国製品の流入で壊滅し、タンザニアでは灌漑システムや塩精製の技術が植民地政策によって消えていった。後進国は、自ら工業化する機会を奪われたまま、原料供給地として固定されていった。
この搾取の構造を金融面で支えたのが、シティ・オブ・ロンドンだった。植民地との貿易ネットワークを通じて資金を吸い上げ、ブリティッシュ・システムを世界規模で機能させた国際金融の中枢、それがシティである。
エリック・ヘレーナーが分析するように、英国古典派自由貿易は「後進国を原料供給地に固定するツール」として機能した。思想と金融が、見事に組み合わさっていた。
ワシントン・コンセンサス:近代版「梯子を蹴り落とす」
20世紀に入り、ブリティッシュ・システムはいったん後退する。1930年代の大恐慌で英国自身が保護主義に回帰し、戦後はケインズ主義が主流となった。
しかし1970年代のスタグフレーションが政策の潮目を変えた。
1979年、サッチャー政権が誕生する。新自由主義の旗のもと、規制緩和・民営化・金融自由化が一気に進んだ。1986年のビッグバンでシティ・オブ・ロンドンはグローバル金融ハブへと変貌し、外国銀行が参入し、電子取引が拡大した。
そして1989年、ジョン・ウィリアムソンが「ワシントン・コンセンサス」を提唱した。
IMFと世界銀行は、債務危機に陥った発展途上国に構造調整プログラムを条件に融資を行い、貿易自由化、民営化、規制緩和、財政緊縮を強制した。19世紀の植民地支配が「直接」行われたとすれば、これは「間接」の搾取構造だった。
被害は具体的な数字となって現れた。メキシコでは1988年から2010年にかけて製造業のGDPシェアが23.9%から18.5%へ低下した。アルゼンチンでは国有企業の民営化と資本移動自由化が実施され、2001年の経済危機で製造業が壊滅的な打撃を受けた。ガーナでは国内の繊維・食品産業が貿易自由化の波に飲み込まれ、工業化の道が閉ざされた。
そしてWTOの設立、さらには中国のWTO加盟(2001年)によって、自由貿易は「世界経済の常識」として制度化された。これをシティの策略と呼ぶのは暴論だろうか。否、グローバル金融の中枢にとって、世界が「ひとつの市場」になることほど都合のいいことはなかったのだから。
英国自身が食い尽くされた
しかし話には皮肉な結末がある。
ブリティッシュ・システムを世界に押しつけ続けた英国自身が、その論理によって製造業を失っていったのだ。
1966年、英国の製造業雇用はピークの890万人を数えた。サッチャー政権が始まった1979年にはすでに710万人に減っていたが、そこから4年間でさらに170万人以上が失われた。高金利政策とポンド高が輸出競争力を奪い、「市場に任せれば良い」という信念が産業保護を拒んだ。製造業のGDPシェアは1979年の約30%から、2007年には14%、近年ではわずか8%にまで落ちた。今や英国経済の80%以上はサービス業、とりわけ金融が占める。
ドイツや日本が産業政策によって製造業を守り続けたのとは対照的に、英国は「金融で稼げばいい」という論理の果てに、ものを作る力を手放してしまった。北部の工業地帯は空洞化し、地域格差は拡大し、ブレグジットの根底にある「置き去りにされた者たちの怒り」を醸成していった。
なぜ、こうなるまで政策が変わらなかったのか。答えは単純だ、シティ・オブ・ロンドンが、党を超えて政治を動かし続けたからである。
サッチャー保守党、メジャー保守党、ブレアの「ニューレイバー」、ブラウン、キャメロン以降の歴代政権、いずれも、シティからの献金、ロビー活動、回転ドア人事によって「金融優先」の路線を維持した。2011年だけで金融業界は規制当局や政治に9200万ポンドを支出した。元大臣が金融機関に天下り、金融マンが政策立案に加わる、これが「民主主義」の実態だった。
ニコラス・シャクソンはこれを「金融の呪い」と呼んだ。資源大国が石油収入に依存して農業や製造業を失うように、金融大国イギリスは金融収入に依存して実体経済を蝕まれた。シティは税収と貿易黒字の主役となったが、その繁栄は国民全体には届かなかった。
トランプが「おかしい」のか、世界が「おかしかった」のか
この構造は今も続いている。
欧州の主要指導者たちの中に、ゴールドマン・サックス、ロスチャイルド、ブラックロックといったグローバル金融の世界と深い回転ドアの関係を持つ人物が並んでいることは、偶然ではない。
彼らがトランプ政権の関税政策や経済ナショナリズムに強く反発し、「自由貿易の守護者」として声を上げているのは、イデオロギーの問題というより、利益構造の問題だ。自国の製造業労働者の現実より、グローバル金融ネットワーク=シティ・オブ・ロンドンによる金融支配の維持を優先している。
そしてトランプ政権は、この構造に正面からぶつかっている。関税、製造業の国内回帰、アメリカン・システム的な産業政策、そのアクションは確かに荒々しく、無謀に見える部分もある。しかし、その荒々しさの背後にある問いは、実は正当だ。
「自由貿易は、誰を自由にしてきたのか?」
英国は保護主義で富を築いた後に自由貿易を説いた。ワシントン・コンセンサスは途上国に緊縮を強いながら、金融資本は利益を吸い上げた。英国自身も、その論理の果てに製造業を失った。この歴史を知ったうえで、「自由貿易こそ正義」という言説をそのまま受け入れることは、もはやできない。
梯子を蹴り落とした側の人間が、「梯子は存在しない」と言っている、そんな時代が、長く続きすぎた。
参考文献
Foreign Policy In Focus (2003/12/30) Kicking Away the Ladder: The Real History of Free Trade
ハー・ジュン・チャンの著書の核心論点を概説した記事。英国や米国が自国の産業育成期には保護主義を活用しながら、優位確立後に途上国へ自由貿易を強要した歴史的二重基準を暴く。「梯子を蹴り落とす」という概念を軸に、先進国が途上国の工業化を阻んできた構造を批判的に論じている。
https://fpif.org/kicking_away_the_ladder_the_real_history_of_free_trade/
Journal of the History of Ideas Blog (2023/08/21) The Neomercantilists: An Interview with Eric Helleiner
エリック・ヘレーナーの著作に基づき、19〜20世紀初頭の経済思想史における重商主義的思考の再評価を行うインタビュー。古典派自由貿易が支配的だったとされる時代に、いかに多くの国々が国家主導の経済発展・保護主義戦略を採用していたかを解明し、現代の経済ナショナリズムの歴史的根源を論じている。
Wikipedia (2024/04/更新) De-industrialisation of India
英国植民地支配下でインドの伝統的手工業、特に綿織物産業が壊滅した過程を解説する記事。不平等な関税政策と英国製機械織布の流入により、世界最大のテキスタイル輸出国が原料供給地へと転落した構造を詳述。インドの貧困化と農業依存の歴史的背景として位置づけられている。
Estudos Avançados / University of São Paulo (2012/01/01) Mexico, an example of the anti-development policies of the Washington Consensus
1980年代の債務危機以降メキシコで採用された新自由主義政策を批判的に検証した学術論文。貿易自由化・民営化・財政緊縮が国内製造業を弱体化させ、経済成長を停滞させた「反開発的」結果を具体的データで示す。ワシントン・コンセンサスの限界を実証的に論じた重要な事例研究。
https://revistas.usp.br/eav/article/download/39484/140140/293962
World Bank Policy Research (2010/05/01) The Washington Consensus: Assessing a Damaged Brand
「ワシントン・コンセンサス」の有効性とその後の評価変遷を検証した世界銀行のペーパー。多くのラテンアメリカ・アフリカ諸国で期待された成長・貧困削減が実現しなかった要因を分析し、市場原理主義への過度な依存が経済危機を招いた教訓を踏まえた政策的再考を論じている。
https://documents1.worldbank.org/curated/en/848411468156560921/pdf/WPS5316.pdf
IMF (2018/09/01) Rethinking Development Policy: Deindustrialization, Servicification and Structural Transformation
途上国において製造業が十分発展する前にサービス業へシフトする「早すぎる脱工業化」現象を分析したIMFワーキングペーパー。自動化やグローバル価値鎖の変化で従来の製造業主導モデルが困難になっている現状を指摘し、新たな構造転換の道筋と産業政策の再構築の必要性を論じている。
https://www.elibrary.imf.org/view/journals/001/2018/223/article-A001-en.xml
The Guardian (2018/10/05) The finance curse: how the outsized power of the City of London makes Britain poorer
ニコラス・シャクソンによる寄稿。シティ・オブ・ロンドンの金融セクターの肥大化が英国経済全体に及ぼす弊害「金融の呪い」を論じる。金融への過度な依存が製造業衰退・地域格差・実体経済の空洞化を招く「資源の呪い」と同様の構造を分析し、金融主導モデルの根本的限界を警告している。





