1/5: あなたはすでに同意している
もう4年も経ってしまった。
2022年2月24日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始したあの朝、あなたはどのメディアで第一報を知ったか。CNN、Fox News、NHK、BBC、どれでもいい。そのとき画面に流れた言葉を、今でも覚えているだろうか。
「挑発なき、正当性なき侵略」
この言語を、あなたは「報道」として受け取った。しかしそれは、ホワイトハウスが侵攻開始からわずか40分で用意した政治的声明の文言だった。報道機関がその言葉を選んだのではなく、政府が選んだ言葉を報道機関が反復した。その区別に、どれほどの人が気づいただろうか。
これがプロパガンダの本質だ。嘘をつく必要はない。誰かが選んだ言葉を、あたかも中立的な事実であるかのように流通させる。あなたが気づかないうちに、あなたの認識の枠組みはすでに決まっている。
プロパガンダの解剖図
本連載では、2024年にMDPI学術誌に掲載されたハイゼンとヴァン・デン・ブルックの研究をベースに、ウクライナ侵攻報道の実例を通じてプロパガンダの手法を解剖する。全5回、8つの手法を取り上げる。
ここで最初に示しておきたいのは、これらの手法がバラバラに存在するのではなく、階層構造をなしているという点だ。
最も上位にあるのが「同意の製造」、これは個別の手法ではなく、プロパガンダ全体が目指す目的地だ。
その下に、何を議題にするかを決める「アジェンダ設定」、
その議題が乗る土台を固定する「前提の支配」、
個々の出来事の解釈を方向づける「フレーミング」が続く。
そして最も具体的な言語表現として現れるのが、「カード・スタッキング」「悪魔化」「バンドワゴン」「偽の二項対立」の四つだ。
スタッキング
出典:Hyzen & Van den Bulck (2024) / Herman & Chomsky (1988)
上位の手法ほど不可視だ。カード・スタッキングは注意深い読者なら気づける。しかし同意の製造に気づくには、メディアと権力の構造関係そのものを疑う視点が必要になる。
同意の製造とは何か
1988年、経済学者ハーマンと言語学者チョムスキーは共著『マニュファクチャリング・コンセント』において、民主主義社会のメディアがいかにして強制や検閲なしに、権力者の利益に沿った報道を生み出すかを解明した。
彼らが指摘したのは、マスメディアの構造的問題だ。広告収入への依存、メディア所有の集中、政府情報源への構造的依存、これらが組み合わさることで、メディアは自発的に、権力者にとって都合のいい情報を選択するようになる。強制は不要だ。構造そのものが、検閲の代わりを果たす。
重要なのは「インデクシング理論」と呼ばれる概念だ。
メディアは政治エリートの意見が一致している範囲内でしか報道しない、という傾向を指す。与野党の双方が同じ立場をとっているとき、報道はその合意の範囲を逸脱しない。反対意見は、エリートの中に反対者がいるときだけ、報道空間に現れる。
つまり、報道が「多様」に見えても、その多様性はエリートの合意の範囲内でしか機能しない。
CNNとFox News:対立メディアが同じ言葉を使った日
2022年2月24日、ウクライナ侵攻開始当日。
CNNは、バイデン政権の制裁発表を軸にした記事を組み、ホワイトハウス声明を骨格として政府の対応を順番に並べた。記事のタイトルには、ホワイトハウスが選んだ政治的言語がそのまま使われた。「挑発なき、正当性なき、ロシア軍による攻撃」、この表現は記事の中で、中立的な事実描写として機能している。
同じ日、Fox Newsのライブ更新ページでも同じことが起きていた。バイデン大統領、ブッシュ元大統領、グラスリー上院議員が、党派を超えて同一の語句でロシアの侵攻を非難していた。
考えてみてほしい。
CNNはリベラル寄り、Fox Newsは保守寄りだ。両者は視聴者層が異なり、政治的スタンスも異なり、互いを「偏向メディア」と批判し合う。しかし侵攻当日、両者は同じ政治的言語を、同じ情報源を用いて、同じ解釈枠で報道した。
これは偶然の一致ではない。インデクシング理論の教科書的な実例だ。民主党も共和党もロシアへの非難で一致していた。政治エリートの合意が成立していたからこそ、イデオロギー的に対立するはずの両メディアが、同一の言語で開戦を伝えた。「選択の自由」があるように見えて、その選択肢はすでに絞り込まれていた。
さらに注目すべき事実がある。NATOの東方拡大という歴史的背景、ロシア側が繰り返し表明してきた安全保障上の懸念、2014年以降のウクライナ危機の文脈、これらは両媒体ともに、ほぼ登場しない。
「何を報じるか」ではなく「何を報じないか」で、認識の枠組みは決まる。
同意の製造は静かに完了した。
「同意の製造」に気づくことの難しさ
この手法の最大の特徴は、洗脳されてしまった人が、そのことを認識しないことにある。
「自分はCNNを信頼しない、Fox Newsを見ている」と思っていても、あるいはその逆でも、両方のメディアが同じ枠組みで動いているなら、どちらを選んでも同じ認識に着地する。「メディアを批判する視点を持っている」という自意識が、むしろ慢心を生む。
プロパガンダの最も洗練された形態は、「自分は騙されない」と思っている人間に最も効果的に作用する。
次回からは個別の手法を一つずつ解剖する。第2回では「アジェンダ設定」と「前提の支配」を取り上げる。何を議論するかを決める力、そして議論の土台そのものを固定する力、この二つが組み合わさったとき、「多様な議論」がいかに無力化されるかを、同じくCNNとFox Newsの事例から検証する。
あなたが次のニュースを見るとき、少し違う目で見るようになっていれば、この記事の役割は果たされたことになる。
本稿の理論的基盤
本連載の分析枠組みは、2024年にMDPI学術誌 Journalism and Media に掲載された論文に依拠している。
著者はアーロン・ハイゼンとヒルデ・ファン・デン・ブルック、ともにドレクセル大学コミュニケーション学部に所属する研究者だ。論文タイトルは「”Putin’s War of Choice”: U.S. Propaganda and the Russia–Ukraine Invasion」。ウクライナ侵攻開始直後の一週間における米国政府の公式声明と主要メディア報道を比較分析し、政府のアジェンダ設定がいかにメディアに転写されたかを実証した。
彼らの研究が立つ土台は、さらに遡る。
1988年、エドワード・ハーマンとノーム・チョムスキーは共著『マニュファクチャリング・コンセント』において、民主主義社会のメディアが構造的に権力の代弁者となる仕組みを解明した。五つの「フィルター」、すなわち所有構造、広告依存、情報源への依存、批判圧力、支配的イデオロギーが組み合わさることで、強制や検閲なしに、自発的なプロパガンダが生産される。ハーマンは経済学者、チョムスキーは言語学者として知られるが、この理論の主開発者はハーマンだ。チョムスキー自身がそれを認め、表紙の著者名順にハーマンを先に置くよう主張した経緯がある。
本連載が参照するハイゼンらの研究は、このH&Cモデルをデジタル時代に接続し、実証的に検証した仕事だ。
紹介したプロパガンダ解剖図が有効か。あなた自身で検証してほしい。
参考文献
Herman, E.S. & Chomsky, N. (1988) Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media
強制や検閲なしにマスメディアが権力者の利益に沿った報道を生み出す構造を解明した古典的著作。広告依存・メディア所有の集中・政府情報源への依存という三つの構造的要因が、いかにして「同意の製造」を可能にするかを体系的に論じる。本連載の理論的基盤。
https://files.libcom.org/files/2022-04/manufacturing_consent.pdf
Hyzen, A. & Van den Bulck, H. (2024) Propaganda Techniques in News Media Coverage of the Russian Invasion of Ukraine, Journalism and Media, MDPI, Vol.5(1)
2022年のウクライナ侵攻報道を対象に、CNNとFox Newsが党派的立場を超えて同一のプロパガンダ手法を用いていたことを実証した学術論文。本連載で取り上げる8手法の分析枠組みの出典。
https://www.mdpi.com/2673-5172/5/1/16
Fox News (2022/02/24〜25) Live updates: Russia invades Ukraine, US and allies respond with sanctions
侵攻開始当日のFox Newsライブ更新ページ。共和党・民主党双方の政治家が「挑発なき侵略」という同一語句で非難声明を発表している様子が記録されており、超党派的な言語統一の実態を確認できる。
CNN (2022/02/24) Biden on Russia’s attack on Ukraine
侵攻当日、バイデン政権の制裁発表を軸に組まれたCNNの報道。ホワイトハウスの政治的言語がそのまま記事の骨格を形成している構造を示す事例。





